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鬼塚子宝観音 [お寺・神社など]

宮地嶽神社から県道502号線を津屋崎庁舎方面へ進み、宮ノ元交差点から左折し、国道495号線を約4.9kmほど走ると、右側に中国風の門の建物が見えてきます。
桂区交差点手前です。
何の?ご利益のある神社なんだろうと??以前から通る度に、いつも気になってはいたのですが、今回は、寄って見ることにしました。
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田園の中にポツンと神社が建っています。
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朱色の屋根と慈母観音。
近くへ寄って見ると、
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中国風の門構えです。
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ちょっと立派な門ですね。
門の額には”守霊之門”と書かれてあります。
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両サイドには、鳩?が??
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門をくぐると、本殿がありますが、屋根には、
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(^o^)ハハハ、こんな物が・・・男性器。
もしや、子宝の神社?
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ちょっと、荒れた感じなのですが、
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綺麗なお花があげられているので、
誰かが管理されているのでしょうね。
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建物の中には、両サイドに木彫りの男性器、
そも奥にはご神体がありました。
やっぱり、安産・子宝神社のようですね。
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その奥には、
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女性の女性の裸体像?が、
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ありました。
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 当地は「勝浦」地名発祥の地です。
と、書かれた説明もありました。
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守霊之門、由来書き

私は、大東亜戦争によって、昭和9年3月召集をうけ沖縄本島に上陸沖縄第二中学校(現師範学校)の要塞建築隊に配属され天一号作戦一級戦に参加二ヶ中隊の内第七中隊員(300名)は、全員戦死、属していた第八中隊は、沖縄本島、宮古島、石垣島に分遺され故郷(旧勝浦村)より五名従軍し
塩浜  石工 花田清造氏(沖縄本島)
勝浦浜 大工 天野萬平氏(宮古島)
東   大工 花田丑雄氏(沖縄本島)
の三名は、戦死いたしました。衷心より鎮魂を祈る為、建立を企画し供養塔として残し社寺建築の技を生かし守霊の志と致しました。
 
う~ん、結局良く分からず、安産・子宝神社だということには、間違いないでしょうね。
  
 
 
 

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