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妻垣神社 [お寺・神社など]

福貴野の滝の紅葉へ訪れたついでに、予めネットで安心院町の観光を調べ、ここ妻垣神社も紹介されていたなんでも大変由緒ある神社で、足一騰宮(一柱騰宮)も興味があり訪れてみました。このことは「日本書記」にも記され、古事記では”足一騰宮”と表記され、伝承されているそうです。
また、小説でも有名な松本清張も無名な時代に訪れたことがあるそうです。
ナビの案内で国道500号線を走ってると、左妻垣神社と書いてある標識を見つけ、田園の広がる道を進むと、また、左妻垣神社の標識に老人ホーム妻垣荘もあるようです。
そこから坂道を進むと、左に老人ホームがあり、右手に妻垣神社へと向う坂道がありました。そのままへんぴな道を進んでると神徳寺に民家があり、?ん、この道であってるの?っというような細い道を進んでると、小さな看板に妻垣神社と書いてあり、ここで行止まり?と思ってると、まだ、道は続き狭い角を左に曲がると鳥居がありました。鳥居の額には”八幡宮”と書かれてあります。そうそう、確か?妻垣八幡宮だったような記憶も・・・。
その奥に神社らしき建物の入口が見えます。写真は、一度車を止めここまで歩いて来て写真を撮りましたので、私の愛車が写っています。
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妻垣神社の二の鳥居(慶安鳥居)です。
折角訪れたので、参道を下って一の鳥居から写真を撮りながら
散策することにしました。
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二の鳥居から2つの灯篭の先が参道の階段のようです。
 
が、参道を見下ろすと、
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これが結構急勾配な階段が続いていたので、
立止まって迷いました。
 
下の曲がり角から、
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振り向くとこんな参道の階段の坂道です。
 
更に下へ続く階段を見ると、
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こぉ~んな感じの参道の長い階段の坂道が続き、
その先に、一の鳥居が見えます。
 
一の鳥居、二の鳥居を進んで、参拝するのが本来なのでしょうが、
本殿までの距離があり、年配者にはこの参道は応えるでしょうね。
これが夏場だったら、本殿につく頃には汗だくでしょうね。
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妻垣神社の一の鳥居です。
(冬の間は、鳥居に小さな電球が飾られるそうです。)
 
この辺には神社の駐車場が無く、手前には数台車を停める
駐車スペースがあるだけでした。
なぜか?こういう人気の無い場所には、営業車がサボってますね。
 
その傍には、妻垣神社由緒記の石碑がたててあります。
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妻垣神社由緒記

鎮座地 安心院町大字妻垣大門203番地
祭神 比咩大神(玉依姫命)八幡大神 神功皇后
由緒 妻垣山(ともかき山)太古比咩大神の御降臨された霊地にして、宇佐神宮 第二殿と言はれる。
八幡大神は稲徳天皇、天平神護元年
宇佐八幡此の地に行幸、駐輩の地に同年10月8日、勅使石川豊成に八幡の神託有り神殿を創建し奉祀。
神功皇后は淳和天皇、天長年間に御歓請し奉祀。

足一騰宮
神武天皇御東還の砌、宇佐国造の祖狭津彦此の処に宮殿を建立、奉饗せる旧跡で当時、天皇 天種子命を以って、神武天皇の母后玉依媛命を祭らせ給う。当社は比咩大神を祀って八幡社と号し、會っては、普賢寺以下四坊の神宮寺を擁し、当郡、中津、島原の領民百余村の氏子を有し、宇佐郷の宗社として崇敬され今日に至る。
 
ここから参拝もできますが、
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傍らには、親切に妻垣神社への迂回路の地図がありました。
 
その向かい側には、 
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のどかな田園風景が広がり、立派な校舎があり、
その奥の山肌は綺麗に紅葉してました。
 
さて、今度は下った参道を再び戻らないと思うと(^。^;)フウ。
 
再び二の鳥居に。
ちょっと駆け足で登って来たので汗に息切れです(^。^;)フウ。
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妻垣神社の二の鳥居(慶安鳥居)です。
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この二の鳥居は台風で崩壊し再建されたものです。
 
その事が、鳥居の傍にある石碑に書かれてありました。
その台座?が、もとの一部として使われているようです。
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妻垣神社第二鳥居(慶安鳥居)崩壊再建趣意書

第二鳥居は慶安二年(西暦1649年)三百五十年前上市村山上弥惣
兵衛尉宗正及び同村氏子によって寄進されたものである。
慶安鳥居と呼ばれ町文化財の指定を受け貴重建築物であったが平成3年9月9日末曽有の台風により崩壊、氏子一同是惨憺たる状況を見るに偲びずこの度の総代会において再建の決意を新たに寄進者を募りました処、大字上市氏子(株)衛藤組社長、衛藤通勇氏の篤志により再建奉納されたものである。
平成13年6月吉日
 
神社へ来ると必ず狛犬を撮るようにしています。
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神社によっては、独特な特徴のある狛犬がありますね。
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道路の様な参道?テクテクと歩きながら、右側に木々の隙間から、
妻垣神社の本殿が見えます。
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この日の空模様は快晴で、日差しの下では汗をかく暑さでした。
 

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やっと、車を停めた妻垣神社の桜門?へ戻って来ました。
参道下の一の鳥居からでは、かなり長い参道を歩いてくることになります。
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妻垣神社の桜門?です。
全体が朱色の建物です。
 
山門の右側には、
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妻垣神社由緒記が書いてありました。
内容が一の鳥居の傍にあった石碑に書かれてた内容だったので省略します。
 
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門をくぐってると、左右に弓を持った武将?が鎮座してました。
何の説明版も無かったので、何かは分からなかった。
写真だけ撮って、帰ってから調べましたが、それでも分からなかった。
 
門をくぐって右側に、
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妻垣神社御社殿創建千二百五十年を迎えるにあたって

今より二千六百年も遥か昔、初代天皇こと神武天皇様によって、主祭神比咩大神を共鑰山の足一騰宮におまつりしてより当社の歴史は始まりました。
時代は降り、奈良時代中期の天平神護元年(765)、宇佐宮の八幡大神のお告げによって、この妻垣の地に、社殿が創建され、神社として確立。
今日に至るまで宇佐郷の宗社として多くの人々に親しまれたまいりました。
そして、来る平成27年(2015)には、当社は御社殿創建二百五十年の嘉節をお迎えすることになります。
かつて我々の先祖たちは節目ごとに御社殿等を護持してきました。今を生きる我々も、この大事な遺産を次世代に引き継がねばなりません。氏子・崇敬者皆様方のご理解・ご奉賛をお願い申し上げます。
 
参拝の前には、手と口を清めてから参詣します。
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門の左側に手水舎がありました。
 
以下のようにして手と口を清めます。
 
(1)まず右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、左手を洗い清めます。

(2)柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。

(3)再び持ち替えて柄杓を右手に持ち、左のてのひらで水を受けて口をすすぎます。柄杓に口をつけて口をすすぐことのないように注意してください。

(4)左の手のひらを清めます。

(5)最後に柄杓を縦にして、自分が持った柄の部分に水を流し、元の位 置にもどします。
 
手水舎の奥には、
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祓所と書かれた立札が立ててありました。
祓所

大祭など最も大切な祭典の時、斎主・祭員(さいしゅ・さいいん)をはじめ参列者等を修祓(しゅうばつ)する所です。
一段高くなり、全体に白い小石が敷き詰められています。
四方に注連縄が張り廻らされており、清浄な場所として、普段は立ち入ることはできません。
 
また、傍には変った灯篭がありました。
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土台が木です。だったと思います。
始めて見る灯篭でしたので撮ってきました。
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妻垣神社の拝殿です。
写真の移りが悪いのですが、建物全体が朱色です。
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お賽銭箱の真上には、龍の彫刻が彫られています。
神社によって素晴らしい特徴ある彫刻がほどこされていますね。
これを撮るのも一つの楽しみです。
 
 折角なので参拝していきます。
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拝殿の中の様子です。
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拝殿に掛かってる絵はなんでしょうね?
富士山が見えます。 
神社によっては、参拝の作法が異なります。
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参拝作法
二礼二拍手一礼
祓へ給ひ
清め給へ
惟神
奇魂
幸へ給へ
(三回唱和)
 
神社(神道)は常に祓いの宗教といわれます。
神様の御前に立ちまず「祓へ給ひ 清め給へ(お祓い下さい。清めて下さい。)」
と唱え、知らず知らずに犯した心身の罪・穢れを取り除きます。
そして清らかな姿で「 神奇魂 幸へ給へ(大神様の尊いお力によって、幸せへとお導き下さい。)」と
祈念して唱えましょう。大神様の御神徳を戴き。必ずや良い方向へ導かれると思います。
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拝殿から見た桜門です。
逆行気味で綺麗に撮れませんでした。
 
参拝を済ませ、周辺を散策してみることにしました。
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妻垣神社の本殿です。
何となく宇佐八幡宮の造り、流造り?に似てるような。
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本殿です。
いつもだったら、木鼻なども撮るのですが、忘れちゃった!
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横から見た本殿です。
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う~ん、良く見るのですが、何の彫刻なんでしょうね。
 
神社を時計回りに見ていくと、
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南西側にも門がありました。
 
その門の右側には、
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これ!なんでしょう?
上の板には何か文字らしきものが書かれてありますが、
薄くなってて読み取ることができません。
 
境内の隅っこには、
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貴船社が建ててあります。
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妻垣神社の裏側の様子です。
 
その向こう側へ進むと、
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灯篭が並んでました。
 
一通り境内を見て回り、一度、桜門を出て、
奥側にも何かあるようなので向かって見ました。
 
途中に、
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共鑰山(ともかぎやま)の院(御神山)の謂われ(ここより米上の磐座『いわくら』)
と書かれたものがあり、呼んでみると、
共鑰山(ともかぎやま)の院(御神山)の謂われ(ここより米上の磐座『いわくら』)

八幡宇佐宮御託宣集『ごたくせんしゅう』「御遊化『ごゆうげ』の部」に(通称、ここ「御神山」は)比咩大神『ひめおおかみ』(神武天皇御母『おんはは』、玉依姫『たまよりひめ』)の御在所(院)であり。
かって応神天皇『おおじん』の御霊が霊界修行の時、ここ院の内において、玉依姫と共に、利生『りしょう』(衆生済度『しゅじょうさいど』)の語らいをされた時、玉依姫が「安楽の御心『みこころ』」となられた故に、尓言『しかい』うなり。と説かれていて、ここは共鑰山の「ご神体に相当する」場所である。
従って、「安心院『あじむ』」の名称は、玉依姫様が、この磐座の、院の内において「安心」された事に、由来する訳である。
今回、石玉垣の保存修理と案内板を設置しました。
保存修理案内板奉納者
浜松市 金子吉尾氏
(ご参拝には磐座付近30m程、山の急斜面ですから呉々もご注意下さい。)
 
う~ん・・・迷いました。
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ここから磐座まで340m
町指定史跡 妻垣神社奥宮巨石があるようです。
奥に見える山、妻垣山(共鑰山)に祭られている。
っと、予めネットで調べていたが、そこまでの道のりが、
薄暗い杉に囲まれた、滑りやすい急斜面の悪路と書いてあった。
 
それに、まだまだ、この他にも見て回りたい場所があったので、
ここで、時間をつぶすと後に響くので諦めました。
 
が、後で後悔し、また、訪れることにしました。
って、いつものことです。
 
先へ進むと、
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”龍の駒・足形石(馬蹄石『ばていせき』)のいわれ”っというものがありました。
龍の駒・足形石(馬蹄石『ばていせき』)のいわれ

ここ共鑰山には「馬城『まき』の峯と同じく、八幡大菩薩が人皇『にんのう』(応神天皇)の昔、龍の駒に乗り、この山に飛び翔けた」という「龍の駒、蹄跡『ひずめあと』の伝承が、字権現」にも、伝えられてきたが、場所が崩落の恐れがある為、今回、当初に「移転復元」したものである。
平成6年2月15日
 
その脇から入ると、
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石畳の参道?があり、
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こちら側からも妻垣神社へ向うことができました。
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南西側?にも門です。
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こちら側にも狛犬が置かれてありました。
 
反対方面へ向い、更に億へ進むと、広々とした敷地があり、
 
その敷地の隅っこには、
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たくさんの祠や灯篭がありました。
 
そこから左側には、
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立派な鳥居と大きな石碑が建ててあり”忠魂碑”と彫られてあります。
 
日清・日露戦争、そして大東亜戦争で亡くなられた、
旧安心院・院内町の兵士1071人が祭られてるそうです。
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 う~ん、形の分からない石が祭られてました。
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その奥には、
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旧宇佐郡戦没者慰霊碑?が忠魂碑の左右にありました。
 
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これ良く見かけるのですが?
 
忠魂碑と書かれた石碑からは、
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妻垣山(共鑰山)が望めます。
 
更に億へ進むと、
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また、鳥居があり、額には”八幡宮”と書いてありました。
 
今は空き地のようになってますが、昔は、ここに”騰宮学館” があったそうで、
当時は、神職を養成、戦後は、騰宮女子専門学校として運営されていたそうですが、
昭和38年(1963)に閉校したようです。
 
ある程度見て回り、最後は、この脇にある、
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足一騰宮(一柱騰宮)です。
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足一『あしひとつ』の印岩『しるしいわ』(復元)

昔、神武天皇様の一行が、宇佐都彦命『うさつひこのみこと』・宇佐都姫命『うさつひめのみこと』に招かれて、この処に来たとき、この土地があまりにも素晴らしかったので、御母玉依姫命様の御霊をお祭りしたところ、玉依姫様が川中の岩の上に御姿を現され、信心を忘れさせないように、この岩に足一の印を付けておくと告げられて、一気に共鑰山に騰がられた事が、足一騰宮『あしひとつあがりのみや』のはじまりであります。
 
赤い矢印の方角にあるんだと思い、先へ進みましたが、
それらしき物が見当たりませんでした。
いろいろと探し回りましたが、結局分からずモヤモヤしながら、
次の目的へ向いました。
 
また、今度調べ直して、近くへ来る事があれば訪れてみようと思います。
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銀杏の木が綺麗だったので・・・(^^_)ルン♪。
 
そうそう、それに松本清張の事も何もありませんでした。
それに関するものを期待してた分残念です。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→棚田の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

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