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アクシオン福岡の秋 [紅葉]

最近、良くアクシオン福岡へ訪れるようになりました。
ココから、飛行機が飛来する写真を撮りにです。平成15年には、福岡の空からジャンボの姿が消えてしまう前に、写真におさめようとできる限り訪れ、その勇姿を見届けようと思っています。

そんな時、小さな秋を見つけ、写真に撮ってきました。
アクシオンの周辺には、カエデや桜の木々が植えられてるので、四季折々のお花が楽しめそうで、桜の時期も楽しみです。
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小さい秋みっけ!(^^_)ルン♪。
紅葉って、有名な場所もありますが、近くでもこんな風に
秋を感じることができますね。
 
 
 
アクシオン福岡ってどんなところ?

博多の森の東平尾公園内にあり、フィギュアスケート、アイスホッケー、スピードスケートなどのスケート競技などが開催される事もある、全国でも随一の規模を誇るスケートリンクや、県立総合プールや温水プール、健康・体力づくりと競技力の維持向上のための施設、県立スポーツ科学情報センターなどが揃っています。
 
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アクシオン福岡は、地域住民のウォーキングコースで、
周囲には、ベンチもあり、そこから福岡市の街並みや
飛行機の飛来、そして夜景が望めます。
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少し散り始めてましたが、
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カエデの葉が赤い絨毯のようで、
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とても綺麗でした。
散り始めもいい雰囲気ですね。

赤焼の由布岳 [夕日]

この日、福貴野の滝の紅葉と安心院町を一日ドライブをして帰り道にある、宇佐のマチュピチュに立ち寄り由布院へ向い、温泉に入浴して帰りました。
県道50号線を走ってると、左手に由布岳が見えてきました。由布岳は登山でも有名な山で、東峰と西峰(1583.26m)の2つのピークからなる山は、円錐形をしていることから「豊後富士」とも称される。
私が登山した時のブログです。
http://masat5.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27-1
由布院盆地から由布岳
http://masat5.blog.so-net.ne.jp/2011-09-13-1
雨乞い峠から由布岳
http://masat5.blog.so-net.ne.jp/2011-09-13-2
自衛隊日出生台演習場を過ぎた頃から、由布岳が赤く染まり、美しい姿だったので写真を撮りました。景色は良かったのですが、残念!電線が邪魔でした。
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赤やけに染まる由布岳。
 
電線が邪魔だったので。
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昔、何かの観光案内か?雑誌の本で見た由布岳は、
ここから撮影されてたのを思い出しました。
 
手前に通ってる橋は「大分自動車道」です。
 
由布岳がだんだん茜色に染まり、
2012_112005800.jpg
うわぁ…きれいぃ~~~(^^_)ルン♪
 
久しぶりに見る由布岳の赤焼けは素晴らしいく美しい姿でした。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 

宇佐マチュピチュの展望所 [ドライブ・観光地]

昔、宇佐市の西椎屋地区に南米ペルーの世界遺産「マチュピチュ」に似た景観があると噂を聞き、西椎屋の滝のついでに立寄ったことがあります。
その時は、えっ!これが「マチュピチュ」、ただの田舎のどこにでもあるような普通の風景だとしか思わず、当時は、写真を撮らなかった。
この風景を見て「マチュピチュ」に似てると最初に気づいた人は面白いなぁ~と思い、私的にちょっと無理があるようにも思いました。

今回、福貴野の滝の紅葉を見に行くのに国道397号線を通って行くので、その風景をもう一度見ることになった。
国道397号線を走り、大分県宇佐市院内町西椎屋へ入り、「上野地高架橋」付近の左側に小屋の様な”西椎屋”のバス停があります。
以前は、滝本堂「大龍寺の梵鐘」「西椎屋の大銀杏(樹齢1300年)」の目印となっていたバス停だったのですが、今回訪れると、「宇佐のマチュピチュ展望所」の看板がバス停の両サイドの側面に!既に、観光地の一つになってました。\(゚o゚;)/ウヒャー!
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西椎屋バス停です。
しかも、「大龍寺の梵鐘」、「西椎屋の大銀杏」と同じくらいに!
これにもビックリ!でした。
 
バスの本数も増えたのかな?と小屋の中を覗くと、
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こんなポスターまで作って貼られてました!
またまた、ビックリ!!
宇佐市院内に現れた空中都市?

大分県宇佐市院内町、国道387号線から望む西椎屋集落、地域の人が秋葉様(火伏せの神)と呼ぶ円錐形の山や棚田の石垣家屋の眺めが、南米ペルーの世界遺産に登録され空中都市と称される「マチュピチュ」ににていませんか?特に、マチュピチュの山ワイナピチュや石造の城壁にそっくり
西椎屋には、西椎屋の滝本堂「大龍寺の梵鐘」や樹齢約1300年の「大銀杏」などの文化財があり、椎屋耶馬の名勝と共に四季折々の景観が楽しめます。
 
そして、ポスターには、
「なんだか少し、マチュピチュな気分」って文字が!
 
よーく見ると、右の下には、
「大龍寺の梵鐘」、「西椎屋の大銀杏(樹齢1300年)」が、
小さく紹介されてました。
格下げ?
確か、大龍寺の梵鐘は、西椎屋の文化財だったはず!
後からのものが大きく紹介されるなんて、残念で悲しいことですね。
 
それにしても展望所までつくるとは、力の入れようが凄い!
どんな展望所かと思い行って見ることにしました。
 
↓の写真は展望所方面から見たバス停です。
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 で、バス停手前の坂道を上がって行くと、
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真新しい立派な看板がたってました。
宇佐のマチュピチュ展望所、ココデス!
以前は無かった!!
 
そして展望所とありますが、なぁ~んにもありません。
しかも、駐車場もありません。
交通量が少ないので、邪魔にならない場所へ車を・・・。
 
それにしても、ここまで宣伝してるのに展望所も駐車場も無いとは?
いくら交通量が少ない場所だとしても・・・中途半端(安全面は?)。
 
その風景が見える場所にも、
2012_11200562.jpg
 こんな風に案内板が設置してありました。
 
マチュピチュ出現!?
ここから望むと、西椎屋集落の人が秋葉様(火伏せの神)と呼ぶ円錐形の山や棚田の石垣家屋の眺めが、南米ペルーの世界遺産に登録され空中都市と称される「マチュピチュ」ににていませんか?特に、マチュピチュの山ワイナピチュや石造の城壁にそっくりである。

また、峡谷を挟んだ一帯の眺めは、国の名勝「耶馬溪」の中の「椎屋耶馬」とも呼ばれ紅葉のシーズンだけでなく四季折々の景観が楽しめます。

西椎屋集落には、西椎屋の滝本堂「大龍寺の梵鐘」があり、戦時中に供出されていたが、福岡県芦屋市で偶然発見され、地区民の願いによりふるさとに帰郷した逸話がある。 また、椎屋神社の境内には、樹高30m、胸高幹囲10.5m、根回りが13mもある「大銀杏」がそびえ樹齢約1300年とも言われている。 幹には乳房様の木根が下がっており、表皮を削り取って煎じて飲むと乳が出るようになると信じられており現在でもお参りする人もいるという。供に、宇佐市有形文化財となっている。
 
そして、マチュピチュに似ている景観がこれです。
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宇佐のマチュピチュです。(^o^)ハハハ
ここからだと、下に走る国道387号が邪魔です。
 
なので、もう少し景観のいい場所から、
2012_11200566.jpg
これが、宇佐のマチュピチュです。
残念!逆行だったので上手く撮れませんでした。
どうですかぁー似てますかぁー。
 
こちらが、
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南米ペルーの世界遺産「マチュピチュ」です。
 
まぁ似てるって言われれば、そうなのかもしれませんが、
私的には、どこにでもある普通の田舎風景にしか見えません。
人それぞれなのかも・・・。
 
そうそう、パンフレットなどでも紹介されている有名な観光地にも、
訪れてみるとがっかりしたってことありますね。
 
日本三大がっかり名所

日本国内で、観光名所としては有名だが、実際に訪れると期待外れとされる三つの場所
「札幌の時計台」「高知のはりまや橋」が含まれることはほぼ意見の一致を見ているが、三つ目については、「沖縄の守礼門」「長崎のオランダ坂」「京都タワー」「名古屋テレビ塔」「仁徳天皇陵」などの諸説がある。
がっかり名所と言われている所でも、人によって感想も違ってきますね。私も、札幌の時計台や高知のはりまや橋には、訪れたことがありますが、歴史・由来などを知ってると、それほどがっかりすることもない。
 
わざわざ、これを見に訪れるまでもない場所ですが、
近くを通ることがあったら、寄って見るのもいいのも・・・です。
ただこれを見るためだけに遠征すると、がっかりしやすいのかもしれませんが。
 
時間帯が夕方近くだったので、
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棚田と小さな集落に重なり合う山々が、
夕日に照らされて赤く染まりとっても綺麗な風景でした(^^_)ルン♪。
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この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

分寺橋(市指定有形文化財) [橋・石橋など]

大分県宇佐市院内町は、日本一を誇る石橋のまちで、その数は74基だそうで、その中でも私が一番のお気に入りの橋は、この”分寺橋”です。
私の大好きな長崎の”めがね橋”と同様に、水面に写りこむ姿はそれは美しい3連アーチの橋で、市指定有形文化財に指定されています。
大正初期に架設されましたが、昭和20年に戦時中の必要性から大改修がされた、3連のめがね橋です。
夜間は照明され、昼間とは違った、神秘的な美しい姿を眺めることができると聞いてましたが、明日の天候と三脚を忘れた為、帰ることにしました。計画では、明日も晴れ、今日は、院内で車内泊をして石橋のライトアップされる姿を撮る予定でした。
2012_11200539.jpg
奥に見えるのが”分寺橋”(市指定有形文化財)です。
今回は、ここから写真を撮ってきました。
 
昔、一度だけ分寺橋を見に訪れたことがありますが、
こんな公園?は、当時は無かったような?
 
この公園の様な広場には、駐車所と分寺橋の説明案内がありました。
 
この位置からだと、分寺橋が正面に望め、
水面に写りこむ姿は美しいです。
 
2012_11200544.jpg
水面に写りこむ美しい3連石造アーチの分寺橋です。
分寺橋(市指定有形文化財)
・形式:3連石造アーチ
・橋長:46.0m
・橋幅:3.85m
・橋高:7.25m
・完成:昭和20年(1945年)
 
ただ、残念なことに、手前の木々に石垣が邪魔で、
3連石造アーチの全貌が望むことができません。
  
石橋の傍からだと、斜めから望むことになるので、
これもまた、水面に写りこむ美しい姿を撮ることができません。
 
その辺は、もう少し工夫してどうにかならなかったのでしょうか?
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少し位置を変えて撮って見ました。
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恵良川のススキが夕日に染まり綺麗だったので撮って見ました。
が、空に電線が入ってしまいました。
実際は、夕日に照らされて綺麗でした。
 
もう少しどうにか上手く撮れないかと考え、
川辺に下りて奥の川に入って撮ろうと思いましたが、
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今回は、なんの準備をしてこなかったので諦めました。
それに、水が冷たさそうだったのもあって。
 
一通り写真を撮って、HP用に公園内を・・・。
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この公園?内には、東屋?と宇佐市の観光案内と
分寺橋の説明版があります。
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院内にはなぜ石橋が多いの?
 今も美しい3連アーチの姿を見せるこの分寺橋など、院内町には、多くの石橋が残っています。九州は特に石橋が分布している地域ですが、それは豊富な石材とそれを活かした石工の存在が大きな理由です。院内町の地形は、谷が多く、橋は欠かせない生活の一部となっており、そのため石工としての技術は村人たちにとって、必要不可欠な技術だったと考えられます。
 石造アーチ橋は北海道から沖縄まで、全国で1700基ほどが現存していますが、九州にはそのうち大部分の1581基が集中しています。九州の中でも、大分県は、484基と特に多く、実に全国の約28%を占めています。
院内町には、県内一の61基の石造アーチ橋が残っており、まさに『日本一の石橋の町』と呼べるでしよう。
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分寺橋(BUJI-BASHI)
市指定有形文化財(昭和57年3月19日、旧院内町指定)

 この橋は、大正初期に架設されましたが、昭和20年に戦時中の必要性から大改修がされた、3連のめがね橋です。
 戦争の真っ最中に改修されたにも関わらず均整に彫刻された石がていねいに積み上げられています。

この説明板の下にあるものは、分寺橋の水切台を実物大で再現したものです。
水切台
川の上流に向かって三角形になっているのは、橋にかかる水の抵抗をやわらげるために工夫・加工されたものです。
 
っと書かれてありました。説明版の下が”水切台”だったのですね。
写真を撮って時、説明版の下もなんだろう?と気にはなっていたのですが、
まぁ、いいか!と撮らなかった。
 
いつも現地では、ふんふん、そうなんだぁ~っと写真を撮って、
いつも、帰ってからゆっくりと撮った写真から文字にしてます。
 
なので、現地では書かれてある説明を曖昧に読んで、
帰ってから気づくことが多く後悔します。
 
 一部分を拡大してみました。
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石供橋(めがね橋)の各部名称の説明が図で描かれてありました。
これを見ると、当時、こんな技術があったんですね。
昔の人って本当に凄い!といつも関心させられます。
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いつもの様に愛車を入れて記念に!
 
傍には、
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何かの碑が建ててありました。
写真を撮って帰ってから調べようと思いましたが、
文字を読み取ることができなかった。
 
更に、この碑の傍には、
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綺麗な銀杏の木が一本ポツンと。
夕日に照らされて綺麗でした。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 

飯塚橋(町指定有形文化財) [橋・石橋など]

余の滝の紅葉を楽しみ、来た道を国道387号線へ戻り、右折し直ぐの場所にも石橋がありました。石橋の名前は”飯塚橋”といい、町指定有形文化財にもなってるそうです。
道幅が狭く、交通量も多く、何度も行ったり来たりしてやっと見つけた駐車スペースに、邪魔にならないように停め、
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写真を撮ってきました。
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飯塚橋(町指定有形文化財)です。
現在は、使われていないようです。
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橋の欄干も錆び付いてました。
 
下を覗くと、
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余川?が流れており、水量も少なく穏やかな流れでした。
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橋の奥側には、こんな水路?がありました。
 
もっといい位置から撮りたかったのですが、
訪れた時間帯が逆行で、 
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こんな風にしか撮ることができませんでした。
飯塚橋(町指定有形文化財)
院内町下余:余川
橋長:12.5m
橋幅:2.65m
径間:10.5m
拱矢:2.6m
架設:明治20年頃?
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この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

余の滝の紅葉 [滝]

福貴野の滝の紅葉へ訪れた時、最後に余の滝へ寄って帰りました。
余の滝は、直下滝とは違って、幾重の岩に当たりながら落下する滝で、水量が多いときは、本当に素晴らしく綺麗な滝です。
滝の落下は約48mですが、紅葉と滝の姿は美しい景観でした。
残念なことに、三脚を忘れてしまったので、白糸のような滝の姿を撮ることができなく悔しさが残ってしまいました。
近くには”日本の棚田100選”に選ばれた両合棚田もあります。
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この写真は帰りに車内から撮影した駐車場までの農道です。
 
国道387号線を走り、院内町下余から院内温泉方面へ進むと、
左側に”老人憩いの家院内温泉”見えてきます。
 
そのまま進んでいくと、院内温泉、更に進むと、
上の写真の様な車一台分の細い道になります。
 
以前は、ここで諦めました。
何故?かというと、雑草がボウボウと生え、車に擦傷が入ったからです。
 
今回は、それを覚悟でゆっくり進みました。
がっ!左右側面にたくさんの擦傷が入ってしまいました(;>_<;)ビェェン。
 
更に進むと、右へ折れ
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更に進むと、
2012_11200525.jpg
左に折れ、駐車場へ着きます。
この写真から3枚上へ見ていくと、狭い道が続くのが分かると思います。
 
上の写真は、駐車場から直ぐの場所です。
大きな車だと、結構狭いので、車に傷が入らないよう、
ゆっくりとハンドルを切りながら曲がってください。
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左が駐車場で、右側に小さな小屋の休憩所がありました。
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小屋の中には、テーブルと長椅子があるので、
ここでお菓子やお弁当を食べることができます。
 
でも、こんな風にゴミを捨てて帰るのはやめましょうね。
 
最初、小屋の中の写真を撮っていると、気づかなかったのですが、
 
途中、小屋の隅に得体の知れない物体が目に映り込み、
 
えっ!なに?なに??っとその方角へ目線を送ると、
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座布団の上に、仏像さまの首が置かれてました。

それにしても、なぜ?こんな風に置かれてるのか?
 
人気の無い場所だったせいもあって、ちょっと、不気味で気持ちが悪かったです。
 
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駐車場直ぐの場所に2つの案内板があります。
 
これより先、
観光客の方の車両の乗り入れは、ご遠慮下さい書かれ、
滝までの地図と滝の絵が紹介されてました。
 
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これによると、駐車場から滝までは、徒歩で約5分ほどで着くらしいです。
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駐車場から少し上がった場所に東屋がありました。
 
ここから先は、
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 こんな風な遊歩道が続きます。
遊歩道に沿って進んでると、
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前方に綺麗な景色、紅葉が見えてきました。
きれ~ぃ(^^_)ルン♪っと写真を撮って進むと、
 
左側、岩肌に美しい景色、
(これを何というのかな?)
2012_11200466.jpg
きれ~ぃ(^^_)ルン♪。っと写真を撮って進むと、
2012_11200515.jpg
滝の展望所に着きました。
さっき、きれ~ぃっと思って写真を撮った紅葉は、
滝の上の紅葉でした。
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滝の下流は、この様に斜面に水が流れ落ちてました。
下へ降りて写真を撮りたかったのですが、
草履だと危険そうだったので諦めました。
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余の滝と美しい紅葉です。
私の広角レンズでは、これが精一杯でした。
 
これほど美しい景観だとは思いませんでした。
この滝、ネットでも評判がいいですよね、
 
残念!三脚を忘れ、この美しい景観を綺麗に撮ることができなかったことに、
悔しさと後悔が残ってしまいました。
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余の滝
落差約48M。駅館川上流域の三大瀑布と呼ばれる西椎屋の滝、東椎屋の滝、福貴野の滝のような直下型の滝と違って、流水が滝の途中で岩に当たりながら幾重にも分かれて落下する姿から、別名「末広の滝」とも称されます。
滝壷の下流にも石畳状の流れがあり、「豊前志」に”白布を三段四段にたらきりて巌の上にたれさらすらむ”と歌われているように、とても趣のある滝です。
 
折角なので、いろいろな角度や場所から撮ってきました。
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滝の上の紅葉が、本当に美しいです。
この紅葉と滝の全貌を撮りたくて、バックするが!
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 (^。^;)フウ、なかなか入りません。
 
足場の悪い場所まで下がって、
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やっと、全貌が入りましたが、景観がよくありません。
 
正面からはよくなかったので、
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左から撮って見ると、今度は紅葉は綺麗なのですが
滝の姿は、余りよくありません。
 
こんな時、いつも思うことなんですが、
もっと、広角で撮れるレンズが欲しいと思う瞬間です。
 
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正面か見た余の滝です。
やはり、三脚が無いと上手く撮れなかったので、
次回、もう一度紅葉の時期に訪れようと思い、
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 後は、適当に撮ってきました。
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滝を愛するものとしては失格ですね(^。^;)フウ。
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後ろ髪を引かれる思いで、その場を立ち去りながら、
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滝上の美しい紅葉を、
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撮って帰りました。
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既に、日が沈み、辺りが暗くなりかけました。
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駐車場から望む田園風景です。
この時期は、場所によっては日が暮れうるのが早いですね。
夕日で黄金色に照らされ、何となく良かったので・・・。
 
って、下にブルーのシートが写っちゃって(^^ゞポリポリ。
 
この後、本当だったら、
近くの、逸見邸(個人の日本庭園)と両合棚田(両合橋)へ
寄る予定でしたが、時間が足りなかった。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

福貴野地区の風景 [風景]

鳥居橋から再び福貴野の滝の紅葉を撮りに向いました。
朝の7時、10時と福貴野の滝へ日が差し込まなかったからです。
この時期は、滝には日が差し込まないのか?と、予めネットで調べましたが、見つからず訪れました。が、やっぱり駄目でした。紅葉の時期は、太陽の位置が低いようです。予定外でした。
そこで、私が以前から気になってた場所の田園風景を撮ってきました。
小さな集落に小さな棚田があって、私的に好きな風景だったので。
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こんな山間の集落の田園風景です。
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奥には小さな棚田に、この風景には沿わない家屋が!
2012_11200455.jpg
既に、稲刈りが終わった季節でしたが、
私的に大好きな風景でした。
 
 この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

鳥居橋(石橋の貴婦人) [橋・石橋など]

鳥居橋は院内町の玄関口を飾る石造アーチ橋で、「石橋の貴婦人」とも呼ばれ、5連のアーチ姿は優雅で町を代表する石橋だそうです。
また、院内町は、日本一を誇る石橋のまちで、その数は74基だそうで、私も、今回は、有名な橋のみ、見て周るつもりでしたが、この時期、日が暮れるのが早く、観光地めぐりと石橋散策は殆んどできませんでした。
今回、私が訪れた石橋は、江戸時代の終わりから昭和の初めにわたって架けられた石橋で、県指定有形文化財に指定されてます。
夜間10時までライトアップされており、昼とは違った神秘的な姿を見ることができます。今回は、この石橋のライトアップもメインで訪れたのですが、三脚を忘れてしまい諦めました。
・形式:5連石造アーチ
・橋長:55.15m
・橋長: 4.35m
・橋高:14.05m
・完成:名工松田新之助により大正5年7月(1916年)
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新鳥居橋の上から見る、5連のアーチの鳥居橋(石橋の貴婦人)の姿です。
ここからだと近すぎて全貌を撮ることができなかったので、
別の撮れる場所を探します。
 
それにしても立派な石橋ですね。
 
駐車場の様なスペースに車を停め、
ちょっとした広場には、
2012_11200354.jpg
こんな可愛らしい掲示板?がありました。
が、残念なことに3連アーチでした。
2012_11200355.jpg
いんない石橋めぐりのコースが地図で示されてました。
 
そこからだと、
2012_11200360.jpg
5連アーチ姿を撮ることができました。
2012_11200358.jpg
恵良川に流れる清流が太陽の光でキラキラと光ってて綺麗でした。
 
鳥居橋と平行に上流側には、新鳥居橋が架けられてます。
車を停めた広場方面から時計回りに見て回ることにしました。
 
2012_112003711.jpg
新鳥居橋です。こちらはコンクリートの頑丈そうな橋でした。
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新鳥居橋の灯篭風の親柱?と鳥居橋を入れて。 
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新鳥居橋の左方向からは、左の竹やぶが邪魔して、
全貌を望むことができなかった。
 
新鳥居橋を渡って、左側にはトイレと駐車場に、
2012_11200366.jpg
鳥居橋 いんない石橋豆知識が書かれてありました。
石造アーチ橋のルーツ

 鳥居橋は院内町の玄関口を飾る石造アーチ橋です。
大正5年の架設ですが、「石橋の貴婦人」とも呼ばれる5連アーチの優雅な姿は、町を代表する石橋にふさわしいものです。
 世界で石造アーチの理論と技法を完成したのは、今から2000年前の古代ローマ時代といわれており、そこからヨーロッパ中に伝わり、世界の石橋に影響を及ぼしたと考えられています。ヨーロッパでは、柱の高い半円形の天井を「ローマンアーチ」と呼ばれ、古代ローマの水道橋を連想させる鳥居橋はまさに「ローマンアーチ」です。
 日本における石造アーチ橋の架設技術は、ヨーロッパから伝わったという説と中国から長崎を経て伝わったとする説があり、現在でもまだ研究が行われています。
 鳥居橋は5連アーチですが、県内には2連から8連アーチの橋が51基あり、中でも8連の耶馬渓橋は、橋長116mと全国一の長さを誇っています。
 
その下には、
2012_11200368.jpg
宇佐市の観光案内が紹介されてました。
 
それと同じように、
2012_112003677.jpg
道の駅 いんないも紹介されてました。
ここにも巨大な橋のモニュメントがあり、夜になると照明されてるようです。
 
また、道の駅の傍(徒歩1分)には 2連橋(眼鏡橋)の荒瀬橋があり、
こちらも夜間は照明されてるそうです。
架設当時は有料だったそうです。
 
帰りにも立寄ってみようと思ってましたが忘れちゃった。
って、本当は、ここで車内泊をする予定だったのですが、
明日の天候が変り、雨だったのでこの日帰ることになった。
道の駅 いんない
(宇佐市院内町副1381の2 国道387号線沿い)
  営業時間 9:00~18:00 TEL O978-42-5539
 定休日:年末年始のみ(レストランは第2・4月曜日)
“日本一の石橋のまち”宇佐市院内町の石橋の仕組みや構造の説明、貴重な資料の展示もしている院内石橋観光の情報ステーションです。
特産のゆずを使用したお土産の販売や、郷土料理を味わえるレストラン、九州唯一の生息地であるオオサンショウウオの特別公開もしていますので、是非、お立ち寄りください。
 
 
橋を渡った右側にも駐車場の様な広場があり、
そこから石橋の下へ降りる階段がありました。
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う~ん、私の広角のカメラでもなかなか全貌が撮れません。
2012_11200373.jpg
傍からだとこんな感じです。
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2012_11200378.jpg
下流側は、穏やかな流れです。
ほんのちょっとの距離で流れがこうも違うんですね。
 
仕方が無いので、藩逆行気味で、
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撮って見ると、空が白抜けに石橋も真っ黒(^。^;)フウ。
 
昔の写真と比べる為に、川へ降りて撮ろうかと思いましたが、
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架設当時の鳥居橋の写真と比べると、
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殆んどその姿には変わりがありませんね。
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下から覗くと「石橋の貴婦人」といわれが何となく分かるような気がします。
すらっと伸びた細長く優美な橋脚が気品さえ感じます。

 この細さで、昭和26年10月の「ルース台風」で水かさ12mを越え、
町内の多くの家屋に豊州鉄道の第2駅館川橋架までも流失しにも関わらず、
それでもこの鳥居橋は残ったそうです。
 
5連アーチは、それぞれの位置の地盤や水流に応じた設計になっており、
径間(スパン)や橋の厚み、高さがすべて異なった設計となって、
大洪水にも耐える強さがあるそうです。
 
いつも思うことなんですが、昔の人(技術)って本当に凄いですね。 
 
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駐車場へ戻っていると、太陽の日差しによって、
影と石橋の雰囲気が良かったのでパシャ!
ここで、ちょっと一休みでもしたいなぁ~って思いました。
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階段を上がった辺りからの様子です。
2012_11200388.jpg
ここにも鳥居橋の案内板がありました。
ということは、こちらの広場の様な場所が駐車場?なんでしょうね。

鳥居橋 県指定有形文化財

所在地:宇佐市院内町香下(恵良川)
架設年:大正5年(1916)
石工:松田新之助 設計者:都留清一朗
橋長:55.15m 橋幅:4.35m 橋高:14.05m 連数:5

天に伸びる細く長い橋脚から「石橋の貴婦人」と称され、リズミカルな5連アーチの美しさを見せる宇佐市院内町を代表する石橋。名前はこの築の小字名である鳥居原から採られている。
昭和26年10月、町内242戸もの家屋を全壊流失させたルース台風をはじめ、幾度にわたる洪水にも耐え抜いてきた石橋で、地盤と水流に応じた設計の確かさと石造アーチ橋の強度を改めて感じさせられる。
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鳥居橋を渡ってみます。
 
写真を撮っていると、農家の軽トラックが渡っていきました。
上流側に新鳥居橋ができていますが、
今なお地元の生活道路として使われてるのですね。
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下を覗きこむと、石橋の影がいい感じ(^^_)ルン♪。
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上流側は、流れが早く、太陽の日差しでキラキラと眩しく
綺麗でした。 
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 石橋中央辺りから下を流れる恵良川。
小さく私の影が映ってます(^^_)ルン♪。
 
それに青い空によって、奥側の水面がブルーに見え、
影の境目で水面の色が2色、何ともいえない光景で素敵でした。
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橋を渡り、今度は下流側から見た鳥居橋の姿です。
もう少し、右側から全貌を写したかったのですが、
この先、小さな田んぼがあって、進むことができませんでした。
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 奥に見える大きな気と石橋の雰囲気が、
とってもいい感じだったのでパシャ!(^^_)ルン♪。
一通り見て回りました。
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最後に、橋をり車に戻ってると、石碑を見つけました。
なんだろう?って行って見ると、
「安倍守衛翁之碑」と彫られてました。
だれなんだろう?有名な方??っと、帰って調べましたが、
分からなかった。
 
本当は、名工松田新之助の記念碑かな?っと、
思ったんだけど違ってた(^^ゞポリポリ。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→福貴野地区の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

妻垣神社 [お寺・神社など]

福貴野の滝の紅葉へ訪れたついでに、予めネットで安心院町の観光を調べ、ここ妻垣神社も紹介されていたなんでも大変由緒ある神社で、足一騰宮(一柱騰宮)も興味があり訪れてみました。このことは「日本書記」にも記され、古事記では”足一騰宮”と表記され、伝承されているそうです。
また、小説でも有名な松本清張も無名な時代に訪れたことがあるそうです。
ナビの案内で国道500号線を走ってると、左妻垣神社と書いてある標識を見つけ、田園の広がる道を進むと、また、左妻垣神社の標識に老人ホーム妻垣荘もあるようです。
そこから坂道を進むと、左に老人ホームがあり、右手に妻垣神社へと向う坂道がありました。そのままへんぴな道を進んでると神徳寺に民家があり、?ん、この道であってるの?っというような細い道を進んでると、小さな看板に妻垣神社と書いてあり、ここで行止まり?と思ってると、まだ、道は続き狭い角を左に曲がると鳥居がありました。鳥居の額には”八幡宮”と書かれてあります。そうそう、確か?妻垣八幡宮だったような記憶も・・・。
その奥に神社らしき建物の入口が見えます。写真は、一度車を止めここまで歩いて来て写真を撮りましたので、私の愛車が写っています。
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妻垣神社の二の鳥居(慶安鳥居)です。
折角訪れたので、参道を下って一の鳥居から写真を撮りながら
散策することにしました。
2012_11200314.jpg
二の鳥居から2つの灯篭の先が参道の階段のようです。
 
が、参道を見下ろすと、
2012_11200315.jpg
これが結構急勾配な階段が続いていたので、
立止まって迷いました。
 
下の曲がり角から、
2012_11200318.jpg
振り向くとこんな参道の階段の坂道です。
 
更に下へ続く階段を見ると、
2012_11200316.jpg
こぉ~んな感じの参道の長い階段の坂道が続き、
その先に、一の鳥居が見えます。
 
一の鳥居、二の鳥居を進んで、参拝するのが本来なのでしょうが、
本殿までの距離があり、年配者にはこの参道は応えるでしょうね。
これが夏場だったら、本殿につく頃には汗だくでしょうね。
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妻垣神社の一の鳥居です。
(冬の間は、鳥居に小さな電球が飾られるそうです。)
 
この辺には神社の駐車場が無く、手前には数台車を停める
駐車スペースがあるだけでした。
なぜか?こういう人気の無い場所には、営業車がサボってますね。
 
その傍には、妻垣神社由緒記の石碑がたててあります。
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妻垣神社由緒記

鎮座地 安心院町大字妻垣大門203番地
祭神 比咩大神(玉依姫命)八幡大神 神功皇后
由緒 妻垣山(ともかき山)太古比咩大神の御降臨された霊地にして、宇佐神宮 第二殿と言はれる。
八幡大神は稲徳天皇、天平神護元年
宇佐八幡此の地に行幸、駐輩の地に同年10月8日、勅使石川豊成に八幡の神託有り神殿を創建し奉祀。
神功皇后は淳和天皇、天長年間に御歓請し奉祀。

足一騰宮
神武天皇御東還の砌、宇佐国造の祖狭津彦此の処に宮殿を建立、奉饗せる旧跡で当時、天皇 天種子命を以って、神武天皇の母后玉依媛命を祭らせ給う。当社は比咩大神を祀って八幡社と号し、會っては、普賢寺以下四坊の神宮寺を擁し、当郡、中津、島原の領民百余村の氏子を有し、宇佐郷の宗社として崇敬され今日に至る。
 
ここから参拝もできますが、
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傍らには、親切に妻垣神社への迂回路の地図がありました。
 
その向かい側には、 
2012_11200353.jpg
のどかな田園風景が広がり、立派な校舎があり、
その奥の山肌は綺麗に紅葉してました。
 
さて、今度は下った参道を再び戻らないと思うと(^。^;)フウ。
 
再び二の鳥居に。
ちょっと駆け足で登って来たので汗に息切れです(^。^;)フウ。
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妻垣神社の二の鳥居(慶安鳥居)です。
2012_11200313.jpg
この二の鳥居は台風で崩壊し再建されたものです。
 
その事が、鳥居の傍にある石碑に書かれてありました。
その台座?が、もとの一部として使われているようです。
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妻垣神社第二鳥居(慶安鳥居)崩壊再建趣意書

第二鳥居は慶安二年(西暦1649年)三百五十年前上市村山上弥惣
兵衛尉宗正及び同村氏子によって寄進されたものである。
慶安鳥居と呼ばれ町文化財の指定を受け貴重建築物であったが平成3年9月9日末曽有の台風により崩壊、氏子一同是惨憺たる状況を見るに偲びずこの度の総代会において再建の決意を新たに寄進者を募りました処、大字上市氏子(株)衛藤組社長、衛藤通勇氏の篤志により再建奉納されたものである。
平成13年6月吉日
 
神社へ来ると必ず狛犬を撮るようにしています。
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神社によっては、独特な特徴のある狛犬がありますね。
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道路の様な参道?テクテクと歩きながら、右側に木々の隙間から、
妻垣神社の本殿が見えます。
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この日の空模様は快晴で、日差しの下では汗をかく暑さでした。
 

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やっと、車を停めた妻垣神社の桜門?へ戻って来ました。
参道下の一の鳥居からでは、かなり長い参道を歩いてくることになります。
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妻垣神社の桜門?です。
全体が朱色の建物です。
 
山門の右側には、
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妻垣神社由緒記が書いてありました。
内容が一の鳥居の傍にあった石碑に書かれてた内容だったので省略します。
 
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門をくぐってると、左右に弓を持った武将?が鎮座してました。
何の説明版も無かったので、何かは分からなかった。
写真だけ撮って、帰ってから調べましたが、それでも分からなかった。
 
門をくぐって右側に、
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妻垣神社御社殿創建千二百五十年を迎えるにあたって

今より二千六百年も遥か昔、初代天皇こと神武天皇様によって、主祭神比咩大神を共鑰山の足一騰宮におまつりしてより当社の歴史は始まりました。
時代は降り、奈良時代中期の天平神護元年(765)、宇佐宮の八幡大神のお告げによって、この妻垣の地に、社殿が創建され、神社として確立。
今日に至るまで宇佐郷の宗社として多くの人々に親しまれたまいりました。
そして、来る平成27年(2015)には、当社は御社殿創建二百五十年の嘉節をお迎えすることになります。
かつて我々の先祖たちは節目ごとに御社殿等を護持してきました。今を生きる我々も、この大事な遺産を次世代に引き継がねばなりません。氏子・崇敬者皆様方のご理解・ご奉賛をお願い申し上げます。
 
参拝の前には、手と口を清めてから参詣します。
2012_11200292.jpg
門の左側に手水舎がありました。
 
以下のようにして手と口を清めます。
 
(1)まず右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、左手を洗い清めます。

(2)柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。

(3)再び持ち替えて柄杓を右手に持ち、左のてのひらで水を受けて口をすすぎます。柄杓に口をつけて口をすすぐことのないように注意してください。

(4)左の手のひらを清めます。

(5)最後に柄杓を縦にして、自分が持った柄の部分に水を流し、元の位 置にもどします。
 
手水舎の奥には、
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祓所と書かれた立札が立ててありました。
祓所

大祭など最も大切な祭典の時、斎主・祭員(さいしゅ・さいいん)をはじめ参列者等を修祓(しゅうばつ)する所です。
一段高くなり、全体に白い小石が敷き詰められています。
四方に注連縄が張り廻らされており、清浄な場所として、普段は立ち入ることはできません。
 
また、傍には変った灯篭がありました。
2012_11200294.jpg
土台が木です。だったと思います。
始めて見る灯篭でしたので撮ってきました。
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妻垣神社の拝殿です。
写真の移りが悪いのですが、建物全体が朱色です。
2012_11200288.jpg
お賽銭箱の真上には、龍の彫刻が彫られています。
神社によって素晴らしい特徴ある彫刻がほどこされていますね。
これを撮るのも一つの楽しみです。
 
 折角なので参拝していきます。
2012_11200290.jpg
拝殿の中の様子です。
2012_11200305.jpg
拝殿に掛かってる絵はなんでしょうね?
富士山が見えます。 
神社によっては、参拝の作法が異なります。
2012_11200289.jpg
参拝作法
二礼二拍手一礼
祓へ給ひ
清め給へ
惟神
奇魂
幸へ給へ
(三回唱和)
 
神社(神道)は常に祓いの宗教といわれます。
神様の御前に立ちまず「祓へ給ひ 清め給へ(お祓い下さい。清めて下さい。)」
と唱え、知らず知らずに犯した心身の罪・穢れを取り除きます。
そして清らかな姿で「 神奇魂 幸へ給へ(大神様の尊いお力によって、幸せへとお導き下さい。)」と
祈念して唱えましょう。大神様の御神徳を戴き。必ずや良い方向へ導かれると思います。
2012_11200291.jpg
拝殿から見た桜門です。
逆行気味で綺麗に撮れませんでした。
 
参拝を済ませ、周辺を散策してみることにしました。
2012_11200297.jpg
妻垣神社の本殿です。
何となく宇佐八幡宮の造り、流造り?に似てるような。
2012_11200303.jpg
本殿です。
いつもだったら、木鼻なども撮るのですが、忘れちゃった!
2012_11200301.jpg
横から見た本殿です。
2012_11200302.jpg
う~ん、良く見るのですが、何の彫刻なんでしょうね。
 
神社を時計回りに見ていくと、
2012_11200295.jpg
南西側にも門がありました。
 
その門の右側には、
2012_11200296.jpg
これ!なんでしょう?
上の板には何か文字らしきものが書かれてありますが、
薄くなってて読み取ることができません。
 
境内の隅っこには、
2012_11200299.jpg
貴船社が建ててあります。
2012_11200304.jpg
妻垣神社の裏側の様子です。
 
その向こう側へ進むと、
2012_11200306.jpg
灯篭が並んでました。
 
一通り境内を見て回り、一度、桜門を出て、
奥側にも何かあるようなので向かって見ました。
 
途中に、
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共鑰山(ともかぎやま)の院(御神山)の謂われ(ここより米上の磐座『いわくら』)
と書かれたものがあり、呼んでみると、
共鑰山(ともかぎやま)の院(御神山)の謂われ(ここより米上の磐座『いわくら』)

八幡宇佐宮御託宣集『ごたくせんしゅう』「御遊化『ごゆうげ』の部」に(通称、ここ「御神山」は)比咩大神『ひめおおかみ』(神武天皇御母『おんはは』、玉依姫『たまよりひめ』)の御在所(院)であり。
かって応神天皇『おおじん』の御霊が霊界修行の時、ここ院の内において、玉依姫と共に、利生『りしょう』(衆生済度『しゅじょうさいど』)の語らいをされた時、玉依姫が「安楽の御心『みこころ』」となられた故に、尓言『しかい』うなり。と説かれていて、ここは共鑰山の「ご神体に相当する」場所である。
従って、「安心院『あじむ』」の名称は、玉依姫様が、この磐座の、院の内において「安心」された事に、由来する訳である。
今回、石玉垣の保存修理と案内板を設置しました。
保存修理案内板奉納者
浜松市 金子吉尾氏
(ご参拝には磐座付近30m程、山の急斜面ですから呉々もご注意下さい。)
 
う~ん・・・迷いました。
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ここから磐座まで340m
町指定史跡 妻垣神社奥宮巨石があるようです。
奥に見える山、妻垣山(共鑰山)に祭られている。
っと、予めネットで調べていたが、そこまでの道のりが、
薄暗い杉に囲まれた、滑りやすい急斜面の悪路と書いてあった。
 
それに、まだまだ、この他にも見て回りたい場所があったので、
ここで、時間をつぶすと後に響くので諦めました。
 
が、後で後悔し、また、訪れることにしました。
って、いつものことです。
 
先へ進むと、
2012_11200323.jpg
”龍の駒・足形石(馬蹄石『ばていせき』)のいわれ”っというものがありました。
龍の駒・足形石(馬蹄石『ばていせき』)のいわれ

ここ共鑰山には「馬城『まき』の峯と同じく、八幡大菩薩が人皇『にんのう』(応神天皇)の昔、龍の駒に乗り、この山に飛び翔けた」という「龍の駒、蹄跡『ひずめあと』の伝承が、字権現」にも、伝えられてきたが、場所が崩落の恐れがある為、今回、当初に「移転復元」したものである。
平成6年2月15日
 
その脇から入ると、
2012_11200338.jpg
石畳の参道?があり、
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こちら側からも妻垣神社へ向うことができました。
2012_11200325.jpg
南西側?にも門です。
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こちら側にも狛犬が置かれてありました。
 
反対方面へ向い、更に億へ進むと、広々とした敷地があり、
 
その敷地の隅っこには、
2012_11200328.jpg
たくさんの祠や灯篭がありました。
 
そこから左側には、
2012_11200329.jpg
立派な鳥居と大きな石碑が建ててあり”忠魂碑”と彫られてあります。
 
日清・日露戦争、そして大東亜戦争で亡くなられた、
旧安心院・院内町の兵士1071人が祭られてるそうです。
2012_11200331.jpg
 う~ん、形の分からない石が祭られてました。
2012_11200332.jpg
 
その奥には、
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旧宇佐郡戦没者慰霊碑?が忠魂碑の左右にありました。
 
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これ良く見かけるのですが?
 
忠魂碑と書かれた石碑からは、
2012_11200337.jpg
妻垣山(共鑰山)が望めます。
 
更に億へ進むと、
2012_11200340.jpg
また、鳥居があり、額には”八幡宮”と書いてありました。
 
今は空き地のようになってますが、昔は、ここに”騰宮学館” があったそうで、
当時は、神職を養成、戦後は、騰宮女子専門学校として運営されていたそうですが、
昭和38年(1963)に閉校したようです。
 
ある程度見て回り、最後は、この脇にある、
2012_11200339.jpg
足一騰宮(一柱騰宮)です。
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足一『あしひとつ』の印岩『しるしいわ』(復元)

昔、神武天皇様の一行が、宇佐都彦命『うさつひこのみこと』・宇佐都姫命『うさつひめのみこと』に招かれて、この処に来たとき、この土地があまりにも素晴らしかったので、御母玉依姫命様の御霊をお祭りしたところ、玉依姫様が川中の岩の上に御姿を現され、信心を忘れさせないように、この岩に足一の印を付けておくと告げられて、一気に共鑰山に騰がられた事が、足一騰宮『あしひとつあがりのみや』のはじまりであります。
 
赤い矢印の方角にあるんだと思い、先へ進みましたが、
それらしき物が見当たりませんでした。
いろいろと探し回りましたが、結局分からずモヤモヤしながら、
次の目的へ向いました。
 
また、今度調べ直して、近くへ来る事があれば訪れてみようと思います。
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銀杏の木が綺麗だったので・・・(^^_)ルン♪。
 
そうそう、それに松本清張の事も何もありませんでした。
それに関するものを期待してた分残念です。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→棚田の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 

楢本摩崖仏 [ドライブ・観光地]

前回、訪れた時、摩崖仏周辺に雑草がたくさん生えてて、荒れ放題に放置され摩崖仏が上手く撮れなかったので、再び訪れてみました。
以前、私が訪れた時のをHPでも紹介しています。
http://yukichan7.web.fc2.com/oita/naramoto.htm
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楢本摩崖仏(県指定史跡)

室町時代の磨崖仏の特色(かまぼこ型、半肉彫り)を代表する史跡といわれ、横4m50cm幅40mノ2段の岩に彫られており、不動明王の右上にある墨書銘は、昭和32年に県指定史跡に指定されています。
 不動三尊(不動明王・衿羯良(こんがら)童子・制吨迦(せいたか)童子)と薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)の他、十二神将や仁王、地蔵菩薩などが仏の世界を表現した曼荼羅(まんだら)が今も残されています。
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楢本摩崖仏の入口です。
 
道路沿いにあって、駐車場もないので、
前の駐車スペースに車を停めます。
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楢本摩崖仏前にある駐車スペースです。
車の通りも少ないので安心です。
って、訪れる観光客っているのかな?
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路肩に車を止め、この階段を上がって行くと、
岩にはたくさんの磨崖仏が彫られてあります。
 
今回は、管理が行き届いてるのか?
前回のように荒れ放題ではなく、綺麗に整備されてました。
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観光案内でもよく紹介されている不動明王(上段)です。
 
その下、下段には、
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十二神将が彫られてるそうで、言い訳なのですが、
岩に太陽の日差しが強く当たってて、眩しく綺麗に見えなくて、
ごめんなさい、適等に撮ってしまいました。
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ここにもたくさんの磨崖仏が彫られてましたが、
薄く彫られてるのもあって、日差しが強くあたり、クッキリと写せませんでした。
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端には祠が!中には何か祀られてありました。
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中央右側には、大小異なる灯篭の様なものも・・・。 
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不動明王から右側の様子です。
何の説明版も無かったので、何が何だか分からないまま、
写真を撮ってきました。
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 こんな感じに、横4m50cm幅40mノ2段の岩に彫られてありました。
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私が居る間も、だぁ~れも訪れる観光客は居ませんでした。
 
 
車に戻ると、
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なんと!私と同じ愛車が並んで停まってました。
 
なぁ~んてね(^o^)ハハハ。
 
この日の予定ルート
西椎屋地区の風景(6:32)→福貴野の滝の紅葉(7:25)→大建寺 深見五重塔(10:05)→仙の岩の紅葉(10:34)→大厳寺(10:55)→桂昌寺跡 地獄極楽(11:24)→楢本摩崖仏(12:02)→妻垣神社(12:19)→妻垣神社付近のイチョウ(12:46)→鳥居橋(13:07)→福貴野の滝の紅葉(13:56)→棚田の風景(14:49)→余の滝(15:10)→飯塚橋(15:49)→分寺橋→(15:57)→宇佐のマチュピチュ展望所(16:14)→由布岳(16:59)→由布院の温泉後帰宅
途中、こて絵、下市百穴、下市磨崖仏、福厳寺羅漢橋、御沓橋などが見つからず時間が掛かってしまいました。
 
 
 
 
 

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